地酒紀行7 精鋭が揃う酒造りの島  佐渡

f:id:konjac-enma:20200314115522j:plain

 佐渡島新潟県にある、沖縄本島に次いで日本で2番目に大きな島だ。人口は約67,000人。毎年過疎化が進んでいる。平成16年に島内10の市町村が合併し、佐渡島全体で佐渡市となった。面積は855.25㎢で、全国に783ある市の中で、広さでは37位と、かなり大きいほうに属する。ちなみに日本一広い市は岐阜県高山市、小さいのは埼玉県蕨市だ(2007年5月現在)。

 佐渡には日本酒の醸造蔵が6社ある。

尾畑酒造株式会社(佐渡市真野新町449)   代表銘柄:真野鶴 与三作
逸見酒造有限会社(佐渡市長石84-甲)     代表銘柄:真稜
佐渡銘醸株式会社(佐渡市加茂歌代458)   代表銘柄:天領
株式会社北雪酒造(佐渡市徳和2377-2)     代表銘柄:北雪
有限会社菊波酒造(佐渡市吉岡813-1)    代表銘柄:菊波
有限会社加藤酒造店(佐渡市金井新保1120-2)  代表銘柄:金鶴

 尾畑酒造は平成13年から18年まで、全国新酒監評会で6年連続金賞を受賞した。また、世界最大規模のワインコンテスト、「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2007」でも金賞を受賞し、全国に名の売れた銘柄だ。
 逸見酒造は、佐渡で唯一山廃による醸造を行っている。また、平成11・12年度の全国新酒監評会で金賞を受賞している蔵だ。
 佐渡銘醸は全国新酒監評会で5年連続金賞受賞、国際酒祭り世界第1位、全国酒類コンクール全国第7位など、数々の受賞歴を誇る名醸造蔵。
 北雪酒造は昭和50年代の地酒ブームの時に辛口で名を馳せ、海外にも販路を拡大している。
 越乃寒梅、雪中梅、峰乃白梅の三銘柄が「越乃三梅」と呼ばれていることをご存じの方も多いと思うが、〆張鶴、越の鶴、金鶴を総称して「越乃三鶴」というそうだ。「金鶴」は隠れた名酒として、知る人ぞ知るお酒らしい。菊波酒造にも受賞歴がある。
 このように、佐渡にある6社は揃って実力蔵であり、佐渡のホテルや飲食店で出されるお酒のほとんどは佐渡のお酒で、地元の人にも愛されているようだ。

 今年は夏休みを利用して、2泊3日で佐渡旅行に行った。メインは佐渡金山などの名所観光だが、足を伸ばして佐渡銘醸、逸見酒造、尾畑酒造にもおじゃましたので、そのときの様子をレポートする。

f:id:konjac-enma:20200314115603j:plain f:id:konjac-enma:20200314115629j:plain

 「真野鶴」の尾畑酒造は、酒蔵見学を通年受け入れている。団体客の見学ルートになっているらしく、広い駐車場に観光バスが乗り付けてくる。ただし、酒蔵見学といってもビデオを3分くらい見て、あとは流れ作業のようにお酒と物産品を買うだけで、酒造工程や酒蔵の見学はない。訪問した日は出荷等の作業がお休みだったため、稼働していれば瓶詰め、ラベル貼りなどの様子を見学できたのかもしれないが。しかし、酒蔵見学と銘打っている以上は、タンクや圧搾機の見学、酒造米の紹介など、もっとやりようがあると思った。
 いずれにしても、自社の酒造りについてお客さんに知ってほしい、日本酒のすばらしさをアピールしようという意識は希薄なようだ。

 佐渡の酒造場は、6社のうち4社(真野鶴・真稜・金鶴・菊波)が真野・佐和田地区に集中している。自動車なら30分程度でまわれる距離。このうち見学を受け入れているのは真野鶴、真稜の2社だ。

f:id:konjac-enma:20200314115732j:plain

 「真稜」の逸見(へんみ)酒造は明治元年創業で、佐渡では老舗の醸造蔵。突然おじゃましたのに「酒蔵見学をしますか」と言ってくださった。本来なら予約しなければならないので、ご迷惑と思い遠慮したが、昔ながらのたたずまいで、ちょっと興味ある建物だった。

 佐渡銘醸は昭和58年創業だが、昭和40年に柴田酒造場と高橋酒造(江戸中期創業)が合併し、昭和58年に現社名となったものだ。佐渡銘醸の近所に、柴田酒造場の建物がまだ残っていた。当時は「加茂川自慢」「千両」という銘柄だったらしい。
 佐渡に着いた初日の夕方、佐渡銘醸を訪ねた。

 「いらっしゃい」と気さくに対応してくださったのは社長さんだった(と思う)。

f:id:konjac-enma:20200314120204j:plain f:id:konjac-enma:20200314120252j:plain

 まず、精米機を見せていただいた。2基ある。自家精米は良い酒を造るための基本だと思うが、この規模の蔵で2基あるのはすごい。大吟醸を造るときは、右側の精米機(サタケ社製)で、熱を上げないよう風を送りながら何日もかけて精米する。米ぬかにも需要があって、煎餅の原料になったり、田んぼに戻して土壌改良に使ったりするそうだ。

 佐渡銘醸の意気込みが感じられるのが、新潟県で最初に導入された密閉式仕込みタンクだ。魔法瓶のような仕組みになっているので、外気温を心配することなく醪の温度管理ができる。貯蔵・温度管理用の蔵が必要ないため、タンクが屋外に設置してある。このタンクのおかげで、全国新酒監評会で5年連続金賞受賞を達成した。

 佐渡銘醸に資料館はないが、戦後から昭和末年頃まで使っていた、一時代前の酒造り用具が展示してあり、実際にそれらを使って酒造りをしていた社長さんは、懐かしそうに、一つ一つの使い方を実演してくださるのだった。

 桶は手を使わずに担ぐとか、瓶の洗浄や殺菌の仕方などを教わって、とても勉強になった。
 試飲コーナーでは、いろんな商品を飲ませ(食べさせ)ていただいた。といっても私は自動車を運転していたので、飲んだのは家内。最高級酒のYK35をはじめ、国際酒祭りで1位を獲得した大吟醸、他にも甘酒や酒まんじゅうもいただき、家内はほくほく顔だった。甘酒は夏の飲み物だそうで、確かに天領盃の甘酒はさっぱりしていて、この時期にふさわしいと感じた。酒まんじゅうも、酒粕の香りが心地よくて、とてもおいしかった。

 皆さんも佐渡に出かける機会があれば、佐渡銘醸にお立ち寄りください。わたしは運良くアポ無しで見学させていただきましたが、予約しておくと確実です。

<2007年8月23日記>

地酒紀行6 鬼太郎で町おこし 千代むすび

f:id:konjac-enma:20200314100945p:plain

 私が自分の小遣いで初めて買ったマンガは講談社コミックス版の「ゲゲゲの鬼太郎」だった。子どもの頃から鬼太郎、ねずみ男目玉おやじなど、水木マンガのキャラクターが大好きで、似顔絵は今でも得意だ。我が家の玄関にある水槽(メダカ、沼エビ、タニシがいる)には、この3人?のフィギュアが鎮座している。
 「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ、「河童の三平」「悪魔くん」などの少年マンガ、また戦記マンガやエッセイでも有名な漫画家の水木しげるさんは、大阪府で1922年に生まれ、その後すぐに祖先の地である鳥取県境港市に帰郷し、青年期まで過ごした。現在84歳だが相変わらずお元気で、80歳の記念として、画集「妖怪道五十三次」を完成させた。歌川広重の「東海道五十三次」をアレンジした作品集で、描線の切れ味、イマジネーションの若々しさはとても80歳の作品ではない。
 「鬼太郎」が雑誌に連載され、好評を博したのは1960年代後半だが、その後も鬼太郎人気は衰えず、何度か雑誌連載・テレビ化を繰り返している。人気の秘密は、鬼太郎はもとよりネズミ男目玉おやじ子泣きじじい、砂かけばばあ、一反もめんなど、キャラクター造形とネーミングの秀逸さだろう。鬼太郎のマンガを見たことが無くても、鬼太郎や目玉おやじを知らない人はいないのではなかろうか。江戸の昔から日本人が愛してやまない、狸の置物と同じ懐かしさがあるのだ。鬼太郎は日本マンガが生んだ、アトムと肩を並べる名キャラだと思う。
 水木さんは日本各地に残る妖怪伝説を掘り起こし、彼らを肖像化する仕事に心血を注いだことでも知られているが、水木さんの妖怪好きは、境港市での子ども時代に育まれた。近所に「のんのんばあ」というおばあさんがいて、土俗の神様や異界やお化けの話をたくさん聞かされたという。だから、境港は水木さんの故郷であるとともに、日本妖怪の聖地でもあるのだ。

 1993年、境港市の「水木しげるロード」第1期工事が完成した。境港駅から海に向かうメインストリートの歩道に、鬼太郎やネズミ男などのブロンズ像を配したもので、公式ガイドブックには81体と記されているが、今では全国の企業から協賛を受け119体に増えているらしい。
 そして2003年、「水木しげる記念館」が誕生し、境港駅から記念館までの800mにわたる区域は水木ワールドの一大テーマパークとなった。駅前交番、郵便ポストはもとより、床屋さんにも鬼太郎が!

f:id:konjac-enma:20200314103149j:plain

 おみやげや日本酒、ビールもすべてが鬼太郎である。一蓮托生というか、その割り切りっぷりに清々しささえ感じる。観光客も100%鬼太郎目当てだ。道を歩く人のうち1割くらいは実は妖怪なのではないか。
 「水木しげるロード」の仕掛け人は、境港市職員。当初商店会に企画を持ち込んだときは「妖怪は印象が良くない」と乗り気ではなかったらしいが、職員の熱意で実現にこぎ着け、年間2万人の観光客が、2005年には85万人に激増。その経済効果は50億円だそうだ。

鬼太郎を愛する人たちがたくさんいて、とても嬉しい。
 皆さんも、ぜひ鬼太郎に会いに行ってほしい。そして、ネズミ男のブロンズ像と一緒に記念写真を撮ろう。

 さて、日本酒である。境港市には酒造蔵は1軒、「千代むすび酒造株式会社」がある。全国新酒鑑評会でも金賞・入賞の常連蔵だ。駅から伸びる鬼太郎ロードを歩いてすぐ右手に酒造蔵とショップがあった。裏手に歴史を感じさせる木造の家屋があったが、一部解体されていたので、新社屋に建てかえるのかもしれない。

f:id:konjac-enma:20200314103631j:plain

 せっかく水木さんの聖地に来たのだからと、鬼太郎ラベルのお酒「鬼太郎純吟 無濾過」を購入した。ラベルは股旅姿で愛嬌のある鬼太郎だが、味はなかなかの辛口だ。ほんのり香るやや淡麗の酒で、料理と相性が良さそうだ。もう1本「小悪魔」という微発泡酒も購入したが、これも辛い。「千代むすび」はかなり辛口傾向の蔵と見た。千代むすび酒造は、近年焼酎づくりにも力を入れているらしく、米焼酎芋焼酎そば焼酎の製造石高が日本酒の石高に近づいてきている。日本酒が辛いのは焼酎に力を入れていることと関係があるのだろうか。まあ、そんなことはないと思うけど。

このほか、境港市には鬼太郎ビールの醸造元もある。3種類それぞれ個性的で、味に深みがあっておいしいのだけれど、小瓶が1本650円なので、「おみやげに買うんだから」と割り切らないと手が出ない。

f:id:konjac-enma:20200213085604j:plain f:id:konjac-enma:20200213085518j:plain f:id:konjac-enma:20200213085354j:plain


 今回は境港市を旅したが、個人的な好みで水木さんと鬼太郎のお話に終始したため「酒紀行」から離れてしまった。日本酒の話題を期待した方には申し訳ない。ご容赦願いたい。

<2006年8月9日記>

地酒紀行5 地元密着の酒造り 武勇

武勇のラベル

 私のような門外漢が酒造りに関する蔵元の考え方や実力を云々するのはおこがましいが、自分なりの判断基準として、その蔵の普及酒(級別審査があった時代の、いわゆる2級酒)に注目している。普及酒で良い味を出している蔵は信頼できると思うのだ。

 「開運」「鷹勇」「群馬泉」「磯自慢」など、私が惚れ込んだ蔵元は、おしなべて普及酒がうまい。のみならず、蔵の個性が、その味にしっかり出ている。「開運 祝酒」の香味と飲み口の良さ、蔵内酵母が独特の風味を醸す「磯自慢 しぼりたて本醸造」など、日本酒の醍醐味を感じさせる名酒揃いだ。
建物正面  「武勇 糖類無添加仕込」も、うまさと個性が際立つ逸品である。初めて飲んだのは9年ほど前。米の旨味とふくらみがあり、その味と、1升1,600円程度(当時)という価格の落差に驚嘆したものだ。私は、たくさんの地酒を体験したい質なので、特定の蔵元の酒を集中して飲むことが少ないが、「武勇」に関しては、1995年末からの1年間で約10本を立て続けに飲んだ。これは唯一無二の経験である。
 先日、家族旅行を計画していて蔵元見学を思い立ち、インターネットで検索したら、武勇の蔵元が見学OKと知り、早速電話で予約した。お邪魔したのは8月23日、午後2時から1時間ほどであった。

 案内してくださったのは、蔵人のKさん。夏休み中だったそうだが、私のような素人のためにわざわざ出社していただき、恐縮した。
山田錦の米俵 最初に見せていただいたのは、酒米保管倉庫。9月からの仕込を控え、兵庫県山田錦が積まれていた。青い線が入った米俵だ。年々、山田錦の使用比率が増加しているとのこと。さすが武勇さん、品質の向上に余念がない。
 次に、縦型精米機を見学した。大吟醸酒用に40%の精白をする場合、約2日かかるそうだ。

 板壁に、申し送り事項を書いた黒板や、ベルト交換の予定などを書いた紙が貼られていた。そこに「楽をしすぎると楽になれない!」「本当の楽は楽をしないこと!」という標語が…。これは、厳しい酒造りの仕事にくじけないように、蔵人が自らを励ます決意の言葉なのだろううか。武勇は杜氏が蔵人を統括するという体制をとらず、5人の蔵人が協力して酒造りを行っているそうだ。
 次に案内していただいたのが洗米・蒸し米を行う部屋。洗米用のステンレス桶がたくさん並んでいた。

f:id:konjac-enma:20200204121744j:plain 左の写真は蒸し米用の甑だ。この左側の地面の高さに釜があり、地下からガスを通して米を蒸し上げる。上原浩さんの著書「純米酒を極める」では、「一に蒸米、二に蒸米、三に蒸米」と、蒸しの重要性を強調しているが、武勇で蒸し米を担当するKさんも、甑に入れる米の加減や、蒸気が抜けてからの蒸し時間の取り方など、繊細な作業の難しさを話してくださった。
 一定の温度に管理された貯蔵庫には、たくさんのタンクが並んでいた。

 武勇の仕込水は超軟水で酒の発酵が遅いため、じっくりと育てなければならないが、そのおかげで味がふくらみ、旨味のある酒が出来上がるそうだ。また、味が乗ってくるまでに時間がかかるので、最低1年貯蔵庫で寝かせてから出荷している。そして、専務の方針として、炭素濾過は一切行っていないとのことだった。良い酒を造るためには手間暇を惜しまないという一徹の姿勢が貫かれており、なるほど「武勇 糖類無添加仕込」がうまいわけだと納得した。

 武勇の職員は15名、そのうち5人が、酒造りに携わる蔵人だ。皆さん地元の方で、年間雇用だから、地元振興に一役買っている。出荷量は900~1,000石で、その多くは地元で消費されているそうだ。
 ぶしつけな訪問にもかかわらず笑顔で迎えていただき、的はずれな質問にも優しく答えてくださった、Kさんをはじめ職員の皆さんに感謝。
 地元に愛され、量より質の酒造りを続ける武勇のご発展をお祈りしたい。

<2004年9月1日記>

 

地酒紀行4 沖縄で唯一、日本酒を造る蔵元

黎明4号瓶

 

 現在、日本酒を製造していない県が1県だけある。というと、多くの人は沖縄県を想像することだろう。たしかに沖縄は泡盛王国で、酒蔵は48社もある。また、気候・風土も日本酒づくりに適さないわけだから、日本酒がないと考えるのは当然だ。
 ところが、30年以上前から頑なに日本酒を造り続けている蔵がある。会社名を泰石(たいこく)酒造という。創業者の安田繁史氏は、長崎黎明酒造と技術提携を結び、清酒「黎明」を開発した。仕込み樽と貯蔵タンクの周囲に冷水を回し、酒温度を15度以下に保つことで、南国沖縄で酒造りはできないという定説を覆したのだ。
 8月3日、炎天の具志川市に泰石酒造を訪問した。静まりかえった工場では、蔵元のご家族だろうか、ご婦人とおばあさんが二人で事務を執っていた。清酒醸造蔵とはいえ主力は泡盛なので、山積みされているのは「はんたばる」と印刷された泡盛段ボール箱だ。
 日本酒は工場の3階で醸造し、別棟の1階にホースで流して瓶詰めする。事前に予約をしなかった上に工場が休みだったため、作業の様子やタンクの状態などを見学することができず、残念だった。
 泰石酒造が製造している日本酒は「黎明」本醸造のみだ。4合瓶を796円で購入した。かなり安い。品質については記載がないため不明だが、20年くらい前の新潟清酒を、もう少し強い口当たりにしたような味といえばわかってもらえるだろうか。ちょっとコクのある、キレの良い辛口という感じだった。
 酒屋や土産物店に売っているかと思ってずいぶん探したが、「黎明」を出している店舗は見つからなかった。日本最南端、そして沖縄唯一の日本酒なのだから、もう少し脚光を浴びてほしいものである。
 ちなみに、日本酒を製造していない県は鹿児島県(※)が正解。
※現在は、薩州正宗というお酒が造られています。

<2002年8月4日記>

 

地酒紀行3 赤目の名水で醸す瀧自慢

滝自慢のラベル

 

 名張市赤目という地名で真っ先に思い浮かぶのは、白土三平の名前と、彼が描いた一連の忍者漫画だ。「赤目」は、忍者カムイの師匠の名前だし、「名張の五ツ」という忍者が「カムイ外伝」に登場する。手元に資料が何もないのでうろ覚えだが、「カムイ外伝第2部」にも出ていたような気がする。「名張の五ツ」は、異形であるがゆえに忍者という茨の道を歩まねばならなかった男の、孤独と悲しさを描いた佳品である。

せn 私の個人的な思い入れはさておき、普通、赤目といえば赤目四十八滝だろう。観光地百選で瀑布の代表に選ばれ、昭和26年に記念切手として発売されている。上の写真は、切手になった「千手の滝」だ。実際は五十以上の滝があり、すべての滝を巡ると、健脚でも半日はかかる。修験道密教の修行場でもあり、私が訪ねた日には白装束の人たちが御師に連れられて登っていた。
 「瀧自慢」が、赤目四十八滝から名付けられたことはもうおわかりだろう。赤目滝の伏流水を使って醸された名酒は、平成11年、12年の全国新酒鑑評会で2年連続金賞を受賞した。
 「瀧自慢」は、切れのいい辛口の酒だ。妥協しない味といってもいい。蔵元を訪ねていくつかを試飲させていただき、純米吟醸雄町の斗瓶取りを買った。瀧自慢らしい切れの良さに純米のコクと柔らかさが加わり、私好みのよい仕上がりだった。

<2001年8月3日記>

地酒紀行2 玉風味と上杉景勝

玉風味の酒ラベル

 玉風味の蔵がある新潟県北魚沼郡守門村は、新潟県から福島県会津若松に抜けるJR只見線沿線にある。只見線に沿って走る国道252号は旧会津街道で、戊辰戦争の時、河合継之助が敗走した道でもある。
  守門村に目黒邸という豪農の屋敷がある。この屋敷がどれほどすごいかは実際に見てもらわないと表現のしようがないが、目黒家が新潟県で最初に自動車を購入した民間人であり、大正時代には350アンペアの容量で全室を電化していたといえば、少しはわかってもらえるだろうか。江戸時代には魚沼領23ヶ村の割元庄屋を務め、名字帯刀を許された家柄である。
 「玉風味」は、玉川醸造として大正年間に法人化されるまでは、目黒家の銘柄であった。目黒家は江戸初期に酒造免許状を得て営業を始めた。もちろんそれ以前から自家用の酒を造っていたことは間違いないであろう。目黒邸資料館で見たビデオに、面白いエピソードが紹介されていた。慶長3(1598)年、越後から会津若松に移封された上杉景勝が、会津街道を移動中に目黒邸で休憩した。そのさいに出された酒をたいそう喜び、朱塗りの杯を与えたという。その杯も展示してあったが、二本松の絵柄で、本物かどうかはちょっとわからなかった。
 玉川酒造は、無料酒蔵見学を行っている。夏でも雪に覆われた冷蔵室があり、大吟醸酒をはじめ、13種の酒を試飲させてくれる。ここで「玉風味」純米吟醸酒4合瓶を1500円で買った。淡麗辛口で、新潟の酒らしい味でありながら、ひときわ切れの良さを感じた。
 目黒家の客間で床机に腰を下ろし、目黒家当主の注ぐにごり酒を大杯で飲み干す上杉景勝の姿を想像しながら飲む玉風味は、格別の味わいなのであった。

<1993年7月27日記>

地酒紀行1 鶴齢と鈴木牧之

鶴齢純米酒のラベル

 鈴木牧之(すずきぼくし)は越後の国魚沼郡塩沢の人で、明和7年(1770)年に生まれ、天保13年(1842)年、73歳で没している。家業は縮(呉服の反物)仲買業で、塩沢地域随一の商家だった。滝沢馬琴山東京山など、江戸の文人と親交が深かったが、牧之の名を不朽にしたのは、彼の著作「北越雪譜」である。豪雪地域の風俗を描いたこの本は、天保8年に出版されるや大評判となった。雪国の風俗と人情を、エピソードを交えてこまやかに描写した本書は、文章も平易で、現代の私達が読んでも十分楽しめる傑作だ。岩波文庫などに収められている。
 「鶴齢」の蔵元、青木酒造は、上越線塩沢駅から徒歩3分、昔ながらの造り酒屋のたたずまいである。鈴木牧之記念館で鈴木家の系譜を見ると、確か牧之の息子が青木家の養子になっている。鈴木家と青木蔵元家は親戚同士なのだ。
 「鶴齢」純米酒、4合瓶を1200円で買った。新潟の酒らしく淡麗でのどごしさわやか。上等なできばえで、おいしくいただいた。ラベルには「北越雪譜」の挿絵が使われている。蓑笠を着けてかんじきを履いたおじさんが、飲んべえに向かって笑いかけている図柄である。
<1990年8月6日記>